ブログと手書き日記が自分を救ってくれる
ブログと手書きの日記は、併用すると精神衛生上とても良い。
両方の魅力について語ります。
私は『ほぼ日手帳』を3年間利用しています。
最初の2年間は、書きたいときだけ書くという感じで、年の半分はページが真っ白のままでした。毎日書くようになったのは今年からです。
毎晩、息子を寝かしつけた後に、日記を書くことが習慣です。
ブログは、過去にこのブログ以外にも複数運営していました。内容は『美容』や『書評』に関するもの。自分が人に提供できる知識をまとめて、不定期に更新していました。
知人にこう話すと、「ブログと日記を両方続ける意味はあるの?どちらかでいいんじゃない?」と言われることがある。私は、両立することで大きなメリットがあると思っている。
私はブログの更新を、『大海原に、手紙が入ったボトルをそっと流す』行為だと感じています。自分が書いた手紙は誰に届くかわからないし、誰も見てくれないまま海に飲み込まれてしまうかもしれません。
でも、運が良ければ、読んでくれた人が喜んでくれたり、その人の生活を少しだけ良い方向に変えられるかもしれない。
画面の向こうにいる見知らぬ誰かに届いて、その人を癒やすかもしれない。そう思ってブログを更新すると、自分の中の孤独感が和らぐように感じるんです。
もちろん私にはだいすきな息子も、旦那も、家族もいる。けれど、彼らと一緒に過ごすことと、実際の自分から離れて匿名で文章を書くこととは、別種の癒やしがある。
対して、『ほぼ日手帳』はベーシックな日記です。その日の出来事や感じたことを、とりとめもなく書いています。
手書き日記の良いところは、「自分自身の心のメンテナンスができること」そして、「1日を全力で生きた証が残せること」ではないでしょうか。
私は昔から、頭の中で沸き起こったネガティブな考えを何度も再生して、自己嫌悪に陥る癖があります。これは抑うつ状態の人に起こりやすい考え方の一種で、『反芻』と呼ばれるものです。
反芻を止める方法はいくつかあります。私にマッチしていたのは、頭の中の考えを、とにかく紙に書き出すことでした。頭のモヤモヤを繰り返す前に紙に書くと、反芻が収まります。
反芻が沸き起こってから紙に書き出すよりも、毎日時間を取って、早めに心のモヤを書き出すほうがメンタルに良い。日記は自分にとって大事なメンテナンスの時間です。
それと欠かせないメリットが、1日を全力で生きた証を残せること。
私たちは1日を経るごとに死に近づいていて、過去に戻ることはできません。漫然と過ごした1日もあれば、ヘトヘトになって終わった1日もある。
どんな1日も自分にとっては欠かせない時間で、それを忘れてしまうことが悲しいと感じています。
忘れられない出来事があります。数年前に旦那と話していて、「俺たち、4月頃何をしてたっけ?」という話題になりました。そのとき、なぜか私も彼も、4月に何をしていたのかを思い出せなかった。
旅行に行ったり、大きな出来事に遭遇したりしたら覚えているはず。思い出せないということは日常を楽しんだということ・・・とは思うものの、日々何かしら新しいことを学んだり、感じたりしているはず。それが思い出せずに、自分の中で『無かった』ことになっているのが悲しかったです。
紙の日記は、誰の目線も気にせずに、とりとめのないものを書くことができるのが良い。将来、歳をとって、日記を一気に読み返すことが楽しみだったりします。そのときには、私は今までの自分が頑張ってきたことを再確認できるんじゃないかな。それが、未来の私にできるプレゼントになると思います。楽しみです。
ブログも手書きの日記も、どちらも私にとってはかけがえのないもので、自分をごきげんにしてくれる存在です。