第一子出産しました|妊娠中の不安の乗り切り方

令和4年9月27日に第一子を出産しました。可愛い息子ちゃんです。

 

新型コロナウイルスの影響で立会が許可されていなかったので、出産は一人で。

 

出産前には陣痛に関する体験記を読んだが、「とにかく痛い」「無理」「鼻からスイカ「痛すぎて分娩中に医者に暴言を吐いた」「旦那を殴った」などと出てきて生む前から戦慄していた。

 

立会がなく旦那もいないので、勢い余って医者を殴らないかが心配だったけれど、なんとか乗り切ることができました。産んでみたら不思議なもので、あんなに辛かった陣痛が今は良い思い出になっています。

 

 

妊娠中は不安になることが多かったです。ホルモンバランスの影響か、毎日不安になってばかりで、突然泣きだしたこともあった。でも、この妊娠〜出産の経験が大きく私を成長させてくれたことは間違いないと思っています。

 

初めての出産だから不安になるのはしょうがない。

しかし、インターネットが発達している現代では、昔に比べ、自分を追い詰めたり、不安になってしまいやすい環境になっているのではないかと感じました。

 

情報が多すぎる

最初に妊娠がわかってから今まで長かった。

妊娠がわかったときから、臨月が近づくにつれてどんどん不安になって、止まらなくなったことが何度もある。

はじめは懸念点について、情報を仕入れて安心しようと思い、Googleを検索した。ところが、検索をはじめて不安が解消するどころか、ますます不安を増幅させてしまうことがありました。

 

たとえば・・・

①ママ向けの情報サイトを見ると、関連記事で更にネガティブな情報を仕入れてしまう

(ママ向けサイトって、どうしてあんなに嫁姑問題とか、家族間のイザコザの体験談が多いんでしょう。)

 

TwitterYahoo!知恵袋などのサイトで、「子育てが辛い」と嘆く体験談を多く目にする

(生む前から不安MAX)

 

もちろん子育てが楽しい事ばかりではないと分かる。それでも、情報を取り入れすぎることで、無用な不安を生むことは間違いないと実感した。

 

妊娠〜出産に必要なものは情報を制限する心

この出産で学んだことは、多すぎる情報を自ら制限しない限り、無用な不安を生み続けるということ。

 

新しい命を生み出すことは大仕事で、体調も、メンタルも、考え方も、過去の自分から大きく変わってしまう。だからこそ、広大なインターネットの中でどんな情報を得るかを自分で決めて、ネガティブな情報を仕入れないほうが良いと思うのです。

 

生んでしまった今は、どうしてあんなに悩んでいたんだろう?と不思議に思っています。不安に感じた内容のほぼ全てが、実際には起こることはなかったんです。

深夜に渡ってスマホで検索し続けた時間が無駄だったと思います。

 

上記の書籍は、出産直前に読みました。

ニュースは利益を得るために人間の不安を煽る媒体であり、制限しても何ら支障はない、ということを論じている一冊です。インターネットも、本質は同様なのではないでしょうか。

 

人類はポジティブな情報より、ネガティブな情報を重視する傾向がある。インターネットも同じで、関連記事の一覧にセンセーショナルな見出しがあると、ついそれをクリックしてしまう。

はっきり言って時間の無駄でした。

 

「自分が変えられるものにだけ集中する」

ニュースしかり、インターネット上の情報しかり、制限する上で大事にしている考え方があります。

それは、「自分が変えられるものにだけ集中する」ということ。

 

これは「ストア哲学」と呼ばれる哲学の考え方の一つです。

世界には自分のコントロールが及ぶものと、及ばないものがある。コントロールが及ばないものは真摯に受け止め、コントロールできるものに集中することで、よりよい人生を生きることができるという考え方です。

子育てにおいて、これほど身につまされる言葉もない。

 

私の場合は、「出産の際に帝王切開になったらどうしよう?」と不安になっていた。

妊娠中であれば、「タバコやカフェインなどを制限する」「肥満にならないようにする」といった点を守ることはできる。でも、帝王切開になるかどうかなんて、自分ではコントロールできない。

 

出産後も、子どもの発達やしつけで悩むことは多いと予想できる。でも親は子どもをコントロールすることはできないし、せいぜい自立を見守ったり、最低限の社会性を身に着けさせるぐらいしかできないんじゃないかと思っています。

 

NewsDietでは、「能力の輪に集中する」という言い方をしていました。

自分は何ができて、何ができないのかを判断して、自分の能力が及ぶものだけに重視して生きればいいと。

 

私はこれから始まる長い子育てのスタートラインに立ったばかり。自分と家族のためにも、自分の能力を見誤らずに生きていきたいと思いました。