ブログと手書き日記が自分を救ってくれる
ブログと手書きの日記は、併用すると精神衛生上とても良い。
両方の魅力について語ります。
私は『ほぼ日手帳』を3年間利用しています。
最初の2年間は、書きたいときだけ書くという感じで、年の半分はページが真っ白のままでした。毎日書くようになったのは今年からです。
毎晩、息子を寝かしつけた後に、日記を書くことが習慣です。
ブログは、過去にこのブログ以外にも複数運営していました。内容は『美容』や『書評』に関するもの。自分が人に提供できる知識をまとめて、不定期に更新していました。
知人にこう話すと、「ブログと日記を両方続ける意味はあるの?どちらかでいいんじゃない?」と言われることがある。私は、両立することで大きなメリットがあると思っている。
私はブログの更新を、『大海原に、手紙が入ったボトルをそっと流す』行為だと感じています。自分が書いた手紙は誰に届くかわからないし、誰も見てくれないまま海に飲み込まれてしまうかもしれません。
でも、運が良ければ、読んでくれた人が喜んでくれたり、その人の生活を少しだけ良い方向に変えられるかもしれない。
画面の向こうにいる見知らぬ誰かに届いて、その人を癒やすかもしれない。そう思ってブログを更新すると、自分の中の孤独感が和らぐように感じるんです。
もちろん私にはだいすきな息子も、旦那も、家族もいる。けれど、彼らと一緒に過ごすことと、実際の自分から離れて匿名で文章を書くこととは、別種の癒やしがある。
対して、『ほぼ日手帳』はベーシックな日記です。その日の出来事や感じたことを、とりとめもなく書いています。
手書き日記の良いところは、「自分自身の心のメンテナンスができること」そして、「1日を全力で生きた証が残せること」ではないでしょうか。
私は昔から、頭の中で沸き起こったネガティブな考えを何度も再生して、自己嫌悪に陥る癖があります。これは抑うつ状態の人に起こりやすい考え方の一種で、『反芻』と呼ばれるものです。
反芻を止める方法はいくつかあります。私にマッチしていたのは、頭の中の考えを、とにかく紙に書き出すことでした。頭のモヤモヤを繰り返す前に紙に書くと、反芻が収まります。
反芻が沸き起こってから紙に書き出すよりも、毎日時間を取って、早めに心のモヤを書き出すほうがメンタルに良い。日記は自分にとって大事なメンテナンスの時間です。
それと欠かせないメリットが、1日を全力で生きた証を残せること。
私たちは1日を経るごとに死に近づいていて、過去に戻ることはできません。漫然と過ごした1日もあれば、ヘトヘトになって終わった1日もある。
どんな1日も自分にとっては欠かせない時間で、それを忘れてしまうことが悲しいと感じています。
忘れられない出来事があります。数年前に旦那と話していて、「俺たち、4月頃何をしてたっけ?」という話題になりました。そのとき、なぜか私も彼も、4月に何をしていたのかを思い出せなかった。
旅行に行ったり、大きな出来事に遭遇したりしたら覚えているはず。思い出せないということは日常を楽しんだということ・・・とは思うものの、日々何かしら新しいことを学んだり、感じたりしているはず。それが思い出せずに、自分の中で『無かった』ことになっているのが悲しかったです。
紙の日記は、誰の目線も気にせずに、とりとめのないものを書くことができるのが良い。将来、歳をとって、日記を一気に読み返すことが楽しみだったりします。そのときには、私は今までの自分が頑張ってきたことを再確認できるんじゃないかな。それが、未来の私にできるプレゼントになると思います。楽しみです。
ブログも手書きの日記も、どちらも私にとってはかけがえのないもので、自分をごきげんにしてくれる存在です。
真正陥没乳頭で授乳するコツを聞いた
母乳が出ません。
私はいわゆる真正陥没乳頭というやつです。おまけに母乳の出も悪い。
乳頭が短いから赤ちゃんが咥えられず、滑ってしまう。産後1ヶ月経っても、搾乳した母乳量は5ccに満たない。しばらくはピジョンの乳頭保護器を利用していた。でも母乳がダラダラと垂れるように出るので、保護器の上まで母乳が到達せずに赤ちゃんが飲めない。当然吸っても出ないから、赤ちゃんは2、3回吸っては口を離してしまう。
母乳量を安定させるために1日7−8回は授乳したほうが良いと言われたけれど、そもそも咥えさせるのに何度もリトライが必要なので、だんだん授乳が億劫になってきました。
「母乳かミルクか」という議論は昔からあるけれど、私は別にどちらでも良いと思っています。私の母も母乳の出が悪く、私自身がミルクで育てられたのでこだわりはない。
そう思って授乳をまちまちにしていたら、見事に乳腺炎になって38.7度の熱が出ました。しかも2回繰り返した。
母乳量が少なくても、おっぱいの中に母乳が残るとうっ滞して発熱するんですね。勉強になりました。
昨日は母親の産後1ヶ月検診があったので、ついでに乳腺炎になったことを相談しました。その際、抗生剤を処方されて、乳房のマッサージを受けるよう言われたんです。
乳房マッサージを受けて、授乳に関してアドバイスを貰ったのでブログに残しておきます。
まずはじめに、私の場合は母乳のみで育児をしようとは思っていません。
可能な限りでおっぱいを吸わせること、そして乳腺炎を繰り返さないようにすることが目標です。
・乳頭が短い場合は、乳輪を咥えさせる必要がある。
・乳輪を咥えるためにはお乳の先が柔らかくないといけないので、授乳前にマッサージをするのが望ましい。
・血流を良くするために、普段から肩甲骨のストレッチをする。
・肩がこらないよう姿勢に気をつける
・乳輪をつまんで軽く尖らせてから、赤ちゃんが大きく口を開けるまで待つ
・口を開けたら乳輪を咥えさせて、吸う動作をしたのを確認してから、乳輪をつまんでいた指を離す。
・おっぱいの硬いところをほぐしながら授乳。
・古い母乳を残さないよう、おっぱいが張ったらこまめに搾乳する。
やってみるとたしかに、陥没した乳首だけど赤ちゃんが吸ってくれる。ただし出が悪いことには変わりないので、吸う時間は10秒吸えたら良い方です。
直接吸う回数を少しずつ増やして、母乳の出が良くなれば御の字。別に出なければミルクで育てるだけだから、どっちでも良いんですけどね。
あと私は、直接授乳をするのは朝昼を中心に。回数は7−8回ぐらいです。ちなみに夜はしんどいからミルクだけにしてます。どうしても赤ちゃんがおっぱいを嫌がったりするので、授乳に時間がかかりすぎるためです。
個人的に大切にしていることがもう一つあって、それは「授乳をゲームだと思うこと」。
授乳すると赤ちゃんは嫌がるし、なかなか咥えてくれない。根を詰めるとストレスが溜まります。
だから私は、これは乳腺炎を予防するためのゲームだと思ってる。
累計で30秒吸えたらクリア。どうしても吸えなくても、がっかりしたり落ち込んだりしない。時間を改めたら吸ってくれることもある。うまくいかないことが続いたら、抱き方を変えたり、息子を攻略(笑)する方法を都度考えています。
子育ては思い通りにいかないことだらけだし、少しでも楽しんだもん勝ちです。
子どもの成長と親の成長、どちらも認める
子どもを産んでもうすぐ1ヶ月。早いもので、もうすぐ里帰りを終える日が近づいてきました。
息子すくすく元気に成長しています。たった1ヶ月だけれど、産まれたときとは体つきが全然違う。足は大きく力強くなって、腕は以前よりバタバタ動かすようになった。
前はミルクをあげたらすぐに寝ていたのに、今は何かにつけて「抱っこしてほしい」と大きな声で泣くようになった。少しずつ自我が産まれてきたんだなと嬉しい気持ちになっています。
子供の成長って、ほんとうに一瞬ですね。かわいくて仕方がない。
生活は以前と一変して、『おむつ⇨ミルク⇨家事⇨寝る』で1日が終わっています。
仕事をしていた時には考えられないぐらい、ゆっくりとした幸せな時間が流れている。
子育ては楽しい。だけど、あまりにルーティン化しすぎて、ふとした瞬間に「このままでいいのだろうか?」「時間を無駄にしていないだろうか」と思うことがあるんです。
子どもはこんなに成長しているのに、私は停滞しているような感覚というか。
もちろんこれは停滞しているわけじゃなくて、一人の人間を育てるという仕事をしていると理解はしているんだけどなあ。
この不安感・焦燥感が続くと、自分の自己肯定感が下がってしまう。
Doneリストを書くと自己肯定感が上がる
でも最近、子育て中の漫然とした停滞感を解消する方法を編み出しました。
それが、1日にやったことを日記に書き留めること。
ToDoリスト(やらなければいけないリスト)はよく知られている。新米ママに必要なものは、ToDoではなくDone(やったこと)をリスト化することではないでしょうか。
私が愛用しているのは、ほぼ日手帳。毎日手書きの日記を書いています。
ページの上部に、日々できたことを書き留める。
やったことリストといっても、書き留める内容は些細なことでいい。
「6時に起きて掃除ができた」とか、
「久しぶりに料理を作った」とか、
「沐浴をするスピードが上がった」とか。
これを毎晩、寝かしつけた後に1分ぐらいで書いています。この1分があるだけで、自分の1日を肯定的に捉えることができます。
「朝ワクワクして起きて、夜満ち足りて眠る」
1日をプラス思考で終えるか、ネガティブ思考で終えるかは、その人の幸福感に大きく影響を与えると思う。
これは私がだいすきな本です。
本書の中に、幸せな人の基本的な考え方として「朝ワクワクして起きて、満ち足りて眠る」という点があげられています。
子どものときは毎日が新鮮でした。1日全力で遊んで、勉強もして、夜は8時ぐらいに寝る。それを繰り返しているだけで、とっても幸せだった。
大人になるとそうはいかない。「ワクワクして起きて、満ち足りて眠る」ためには、自分で自分の1日を肯定する習慣をつけることが必要だと思います。
これはきっと筋トレのようなもので、毎日続けることで大きな影響を与えてくれる。小さな行動を肯定的に捉える筋力がついてくるというか、とにかくやってみることが必要だと思う。
大人の成長は子どもに比べると微々たるものだけれど、少しでも自分を認めながら過ごしていけたらいいなと思っています。
第一子出産しました|妊娠中の不安の乗り切り方
令和4年9月27日に第一子を出産しました。可愛い息子ちゃんです。
新型コロナウイルスの影響で立会が許可されていなかったので、出産は一人で。
出産前には陣痛に関する体験記を読んだが、「とにかく痛い」「無理」「鼻からスイカ」「痛すぎて分娩中に医者に暴言を吐いた」「旦那を殴った」などと出てきて生む前から戦慄していた。
立会がなく旦那もいないので、勢い余って医者を殴らないかが心配だったけれど、なんとか乗り切ることができました。産んでみたら不思議なもので、あんなに辛かった陣痛が今は良い思い出になっています。
妊娠中は不安になることが多かったです。ホルモンバランスの影響か、毎日不安になってばかりで、突然泣きだしたこともあった。でも、この妊娠〜出産の経験が大きく私を成長させてくれたことは間違いないと思っています。
初めての出産だから不安になるのはしょうがない。
しかし、インターネットが発達している現代では、昔に比べ、自分を追い詰めたり、不安になってしまいやすい環境になっているのではないかと感じました。
情報が多すぎる
最初に妊娠がわかってから今まで長かった。
妊娠がわかったときから、臨月が近づくにつれてどんどん不安になって、止まらなくなったことが何度もある。
はじめは懸念点について、情報を仕入れて安心しようと思い、Googleを検索した。ところが、検索をはじめて不安が解消するどころか、ますます不安を増幅させてしまうことがありました。
たとえば・・・
①ママ向けの情報サイトを見ると、関連記事で更にネガティブな情報を仕入れてしまう
(ママ向けサイトって、どうしてあんなに嫁姑問題とか、家族間のイザコザの体験談が多いんでしょう。)
②TwitterやYahoo!知恵袋などのサイトで、「子育てが辛い」と嘆く体験談を多く目にする
(生む前から不安MAX)
もちろん子育てが楽しい事ばかりではないと分かる。それでも、情報を取り入れすぎることで、無用な不安を生むことは間違いないと実感した。
妊娠〜出産に必要なものは情報を制限する心
この出産で学んだことは、多すぎる情報を自ら制限しない限り、無用な不安を生み続けるということ。
新しい命を生み出すことは大仕事で、体調も、メンタルも、考え方も、過去の自分から大きく変わってしまう。だからこそ、広大なインターネットの中でどんな情報を得るかを自分で決めて、ネガティブな情報を仕入れないほうが良いと思うのです。
生んでしまった今は、どうしてあんなに悩んでいたんだろう?と不思議に思っています。不安に感じた内容のほぼ全てが、実際には起こることはなかったんです。
深夜に渡ってスマホで検索し続けた時間が無駄だったと思います。
上記の書籍は、出産直前に読みました。
ニュースは利益を得るために人間の不安を煽る媒体であり、制限しても何ら支障はない、ということを論じている一冊です。インターネットも、本質は同様なのではないでしょうか。
人類はポジティブな情報より、ネガティブな情報を重視する傾向がある。インターネットも同じで、関連記事の一覧にセンセーショナルな見出しがあると、ついそれをクリックしてしまう。
はっきり言って時間の無駄でした。
「自分が変えられるものにだけ集中する」
ニュースしかり、インターネット上の情報しかり、制限する上で大事にしている考え方があります。
それは、「自分が変えられるものにだけ集中する」ということ。
これは「ストア哲学」と呼ばれる哲学の考え方の一つです。
世界には自分のコントロールが及ぶものと、及ばないものがある。コントロールが及ばないものは真摯に受け止め、コントロールできるものに集中することで、よりよい人生を生きることができるという考え方です。
子育てにおいて、これほど身につまされる言葉もない。
私の場合は、「出産の際に帝王切開になったらどうしよう?」と不安になっていた。
妊娠中であれば、「タバコやカフェインなどを制限する」「肥満にならないようにする」といった点を守ることはできる。でも、帝王切開になるかどうかなんて、自分ではコントロールできない。
出産後も、子どもの発達やしつけで悩むことは多いと予想できる。でも親は子どもをコントロールすることはできないし、せいぜい自立を見守ったり、最低限の社会性を身に着けさせるぐらいしかできないんじゃないかと思っています。
NewsDietでは、「能力の輪に集中する」という言い方をしていました。
自分は何ができて、何ができないのかを判断して、自分の能力が及ぶものだけに重視して生きればいいと。
私はこれから始まる長い子育てのスタートラインに立ったばかり。自分と家族のためにも、自分の能力を見誤らずに生きていきたいと思いました。
ゆっくりと読み、ゆっくりと書く『遅いインターネット』
産休中。最低限のウォーキングをし、あとはひたすら読書をして自堕落に過ごしている。あまりに暇なので、Kindle Unlimitedで面白そうな本を物色することが楽しみになっているが、最近読んだ本がおもしろかったので感想をシェアしたい。
『遅いインターネット(宇野常寛 著)』
- ・ゲーマーが脱スマホ・脱インターネットを志した理由
- ・価値ある情報を書けるようになるには?
- ・目的のあるライティングから、書くことを楽しむライティングへ
- ・フローから考える、書くことに熱中するコツ
- ・書くことが楽しいと思える日を目指して
・ゲーマーが脱スマホ・脱インターネットを志した理由
私はゲーマーだ。ゲーマーというとインターネットにどっぷりと浸かっているイメージがあるが、私はSNSやインターネットからはなるべく距離を置くように試みている。
脱スマホのきっかけは、アンデシュ・ハンセンの『スマホ脳』という本を読んだこと。
以前はTwitterのヘビーユーザーだった。空いた時間はSNSを見るか、Googleで必要性のない記事を検索することに熱中していた。でも、今はSNSアプリはすべて削除して、LINEと電話以外の機能はほぼ使っていない。
理由は3つあって、
①Google検索で得られる情報に以前ほどの価値を感じなくなったから
②スマホの利便性と合わさって、常に不安に感じるから
①について。
Googleの検索でひっかかる情報の価値を、以前ほど信じられなくなってしまった。
私は妊娠中だが、今回が初めての出産。産休に入ってからは妊娠中の疑問について不安になることが多かった。当然、Googleを使って自分が安心できる情報を探していた。
けれど、検索上位に表示されるのは広告収入目的のサイトばかりで、記事の質が決して良いとは言えない。書いてある情報は科学的根拠に乏しく、個人的な体験談の域を出ないものが多い。
何より、記事を読み終わった後に、関連記事としてセンセーショナルな記事(不倫の体験談漫画とか)を表示させられて、ついそれをタップしてしまうことが多かった。
刺激的なタイトルにつられて内容を読んでも、自分の不安が増すばかりで結局なにもいいことがない。でも気になるからつい読んでしまう。
妊娠中の不安を解消するためにネットを利用しているのに、新しく不安要素を増やしてどうするんだと。
②について。
スマートフォンを利用してネット上の情報を読むと、PCで読んでいる時に比べ、より不安が増幅される気がした。
手軽に見れるし直感的に操作できるから、刺激的な記事を読むループが止められない。
結局、自分の時間を無駄に浪費するばかりでメリットがない。おまけに読んだ内容は、次の日の朝にはたいてい覚えていなかったりする。
③について。
SNSに関して、『遅いインターネット』ではこんな一文がある。
いまこの国のインターネットは、ワイドショー/Twitterのタイムラインの潮目で善悪を判断する無党派層(愚民)と、 20 世紀的なイデオロギーに回帰し、ときにヘイトスピーチやフェイクニュースを拡散することで精神安定を図る左右の党派層(カルト)に二分されている。
私のSNSの利用目的は、ゲームに関する発信と情報収集だった。
しかし、だれかのリツイートや自動表示されるツイート、日本のトレンドが、こういった内容のツイートを私のタイムラインに運んでくる。
政治的な発言はしないように心がけていたし、誰かを叩くためのツールとして活用することもなかった。でも一度こういった意見を読んでしまうと、頭の中から追い出すには時間がかかる。
なんだか疲れてしまって、SNSのアプリは全てスマホから消した。
おかげさまで、以前に比べてスマホを利用する時間が減った。私は格安スマホのIIJmioを利用して、月のギガ数は4ギガに設定している。先月の利用ギガ数はたった0.7ギガだった。もったいないので、最低の2ギガプランに変更しようかと思ってる。
・価値ある情報を書けるようになるには?
インターネット上には何でもあるけれど、本当に価値があると思える情報は少ない。
しかし、私が価値のある情報を発信できるかというと自信がない。
1年ほど、本業の傍らでクラウドソーシングサイトを使ってライター業をしていた。ゆくゆくは本業にしたいと感じたこともあったけれど、辞めてしまった。
妊娠して記事を書くだけの体力が無くなったことと、自分の書いた記事に価値を感じられなかったことが大きな理由。
1〜2週間の期限の中で、クライアントにお金が入る記事を書くことが目標だ。そのためには、内容を刺激的にし、訪問者が記事をクリックするように仕向けることが必要になる。こうして生まれた記事は、私が心を乱されていた『ママ向けサイトに掲載されていた不倫の体験談』だったり、『妊娠中の胎児トラブルを煽ってモノを買わせようとする記事』と何も変わらない。
価値ある情報発信ができるようになるとはどういうことか?
このヒントが、本書『遅いインターネット』の中に載っていた。
・目的のあるライティングから、書くことを楽しむライティングへ
遅いインターネットで一つの解として示されているのが、良質な読み物とは、読んだ人が「価値転倒」を起こすような読み物であるということだ。
価値転倒とは、記事を読んだ人が新しい問題を設定し、新たな視点を獲得できるような状態のことを指す。
そして価値のある情報発信とは、YESかNOかを述べるのではなく、こうしてその対象を「読む」ことで得られたものから、自分で問題を設定することだ。単にこれを叩く/褒めるのが評価経済的に自分に有利か、不利かを考えるのではなく、その対象の投げかけに答えることで、新しく問題を設定することだ。ある記事に出会ったときにその賛否どちらに、どれくらいの距離で加担するかを判断するのではなく、その記事から着想して自分の手であたらしく問いを設定し、世界に存在する視点を増やすことだ。
こうした価値の転倒は、「共感」の「いいね」の外側にある。人間は「共感」したときではなくむしろ想像を超えたものに触れたときに価値転倒を起こす。そして世界の見え方が変わるのだ
Yahoo!ニュースなりのコメントを読むと、記事の内容に賛成・反対のコメントを書いて自分の意見を表明する人が多い。賛成・反対の意見を述べられるだけでは、読んだ人に新しい視点を与えるというところまで達していない。
『遅いインターネット』では、ウェブマガジンを立ち上げている。良質な読み物を提供するとともに、読者に十分な発信能力を共有するワークショップを開催しているようだ。読者自身がのちのちに良質な発信ができるようになることを目指し、良い情報に触れるー自分でも発信するというスパイラルを回している。
私も、どうせならこういうものが書きたいと思う。
過去にブログに挑戦したこともあるし、自分が書いた情報が誰かの役に立つことを想像することは決して嫌いではなかった。それでも、自分の情報の価値が信じられなくて楽しめなかったのだ。ちなみにブログは、SNSで嫌がおうにでも入ってくる人々の収益報告やマネタイズの報告を読むうちに、他人と比較して自己嫌悪に陥ってしまった。今なら分かるけれど、目的が違ったのだ。書くことを手段に、金銭を目的にすることは、自分にはあっていなかったと今なら分かる。
著者は、書くことそのものを楽しむライティングを推奨している。ランニングをダイエットを目的にすると続かないけれど、走ることそのものを楽しめれば、自分のペースで継続する事ができる。
書くことも同じだと思う。
人間は何の目的もなく、ただ身体を動かすことそのものを楽しむ時間には、世界との距離感と進入角度をとても自由に試行錯誤することができる。それと同じことが「書く」ことにも「発信する」ことにも言えると思うのだ。
・フローから考える、書くことに熱中するコツ
とはいえ、書くことはしんどい。
かの文豪、アーネスト・ヘミングウェイも、「書くということに特別なことはなにもない。ただタイプライターの前に座って血を流すだけだ。」との名言を残している。
最近はSNSで誰でも発信ができるようになって、書くことへのハードルは下がった。でも、自分自身読んで楽しめて、ある一定の価値があると認められる記事を自分で書くことは非常に難しい。
『遅いインターネット』を読んで次の課題は、いかに自分の「書く」という行為をブラッシュアップして、ほんの少しでも良質な情報につなげていくかだと思う。
そのために、まずは良質なインプットを行うこと。インプットは読書だったり、インターネットで良い記事を見つけて読むことだったりする。良いと感じた記事・書籍はブックマークやリストに登録して、どこが良かったのかを自分なりに分析してみる。
そして、書き続けること。書くことは一長一短にはうまくならない。続けるに当たって、アフィリエイトで広告収入が入ることを期待したり、読者がバンバン増えてちょっぴり有名になったりすることを期待してはいけない。書くことに付随する何かを期待すると、楽しくなくなるのは経験則で理解している。
私は、書くこと自体に楽しみを見出し、習慣化するには、フローに入ることが有効だと思ってる。
フロー状態に入る7つのコツ|チクセントミハイの「フロー理論」をわかりやすく解説 | 識学総研
ミハイ・チクセントミハイが提唱した概念で、高いレベルの集中を維持し、自分のスキルより少し上の挑戦をしているとき、人間はフローに入ることができるとされている。創造的な活動に没頭し、幸せを感じている時に人はフローに入っている。
『書く』ことに対して全くの初心者が、フローに入りやすくなるためのコツは
①ゴールを明確にすること
いきなり質の高い記事を書こう!と思っても目標が漠然としすぎているので、自分でスモールステップで小さな目標を立てて取り組むことが重要だと思う。たとえば、10記事書くとか、10000文字書くとか。
②フィードバックをもらえる環境に行く
書くことはフィードバックをもらいにくい。同じように書くことを学ぶ仲間を集めて、書いたものをお互いに批評し合う環境があればいいと思う。
③書こうとしている内容が難しすぎず、易しすぎない
今から書こうとしている内容が、自分にとってオーバー過ぎていないかを判断する必要がある。日々のメンタルや体調で左右されるので、昨日まで書けていたはずの内容が書けない!と思ったって落ち込まないほうがいい。
④集中しやすい環境を整える
PC周りには何もないのが望ましい。私は、机とPCとブログ用のメモ(A4用紙1枚)以外は置かない。かつ、PCは機内モードにして、スマホの電源は切るようにしてる。
・書くことが楽しいと思える日を目指して
ライティングにしろ、ブログにしろ、どうして続かないのか、楽しみを見いだせないのかが不思議だった。もちろんライティングを始めた人のうち、99%は途中で辞めている。続いているのは1%の人だけだということはわかっている。
それでも、何度も期間を開けてはブログに戻ってしまう。いままでブログは4つぐらい開設し、そのうち生き残っているのは1つだけ(半年更新してない)だ。
なんども戻ってくるのは、私が書くことを諦めきれないからだと思う。Googleを検索するたびに失望を覚えることも、SNSでの誹謗中傷を見ることももう飽き飽きしていた。私もどうせなら、価値のある情報を発信する側に回りたい。
どれだけ時間がかかるかはわからないけれど、少しずつでも書くことを続けて、レベルアップしていこうと思う。
ゼノギアスの魅力について語ろう
「人には自分の運命を自分で決める権利がある! 自由な意志があるんだ!」
みなさんこんにちは。KADAです。ゲームが大好きなこと以外に特徴がない、しがない女です。チラシの裏よろしく、ゲームについて自分の言いたいことを好き勝手ブログに書いています。
『ゼノギアス』というゲームがある。私が大好きなゲームの一つです。
このゲームを初めてプレイしてから19年が経ちましたが、なんと今日このゲームのストーリーを初めて理解することができました。
19年間ストーリーがわからなかったってそんなことあるのか!?と自分でも思うのですが、わからなかったものはわからなかった。
それでも当時の私は狂った猿のように周回プレイしてた。
当時小学生だった私は、なぜあんなにも意味不明なゲームを愛していたのか?を語ろうと思います。
・11歳女児のゼノギアスの記憶
ゼノギアスは、1998年にスクウェア(現スクウェア・エニックス)から発売されました。DISC2枚組で、ハードはプレイステーション。ジャンルはRPGで、一人プレイ専用のゲームです。
神は、堕ちてきた… ゆっくりと船は星へと沈んでいった…。
それから幾千年の時が流れた。
忘却の彼方より繰り返される悲劇。輪廻と再生。破滅と癒し。
神とは何か? その意図するものは?
上のストーリー説明、スクウェアエニックスのHPに掲載されていた文言をそのまま引用したんですが、もうこれだけで訳がわからないですね。
主人公はフェイ。当時は前髪をどうやってセットしているのか気になって仕方ありませんでした。
ゼノギアスをプレイしていた当時、私は小学5年生の女の子。今ではすっかり肩こりと坐骨神経痛が気になり始めた30代の女になりました。
当時の私がどんなふうにこのゲームを捉えていたのか、思い出しながら書いてみることにしてみます。
・ギアかっこいい!
・戦闘シーンがコマンド式で楽しい!
・よくわからんけど悪いやつがいるらしいので倒す!
・グラーフってクソかっこいい!(厨二病を発病)
・なんか天空に浮かんでる国に来た!BGMが可愛い!
・ソイレントシステムが衝撃的すぎて寝れなくなる
・このあたりからこのゲームのヤバさに気づき始める。
・ディスク2に入った瞬間、文章ばかりが続いて唖然。
・わけも分からず丸ボタン連打。戦闘シーンが来ると俄然やる気になる。
・バベルタワーで落ちまくり、癇癪をおこして母に叱られる。
・デウスを倒した!!よくわからないけどこれで世界は平和になるぞ!!
・は?何このウナギ?(ウロボロス)
・唐突に裸で語り合うアニメシーン。リビングが凍る。
・END
・うーんわからなかったけど楽しかった。もっかいやろ。
当時プレイしていた子どもたちはどんな感想を持っていたのか・・・。おそらく私とそう変わらなかったんじゃないでしょうか。
その後私はゼノギアスの不思議な魅力に取り憑かれ、母に頼んでゼノギアスの設定資料集とサウンドトラックを誕生日プレゼントとして買ってもらい、その後もプレイを続けました。それでも、何周してもやっぱりストーリーはわからなかった。
そこで、ゼノギアスのストーリーを知るために参考にしたサイトがこちら。
このサイトを拝見して、当時の私がこのゲームのことを5%も理解していなかったとわかった。
でも、それでも魅力を感じていたのはなぜなのか?
・魅力その1:ギアがかっこいい
ゼノギアスにはギアと呼ばれる兵器が登場する。主人公たちはこのギアに搭乗して戦うことになるんだけれど、このギアが超絶かっこいい。
私の好きなギアは、仲間の一人であるエメラダの搭乗機である『クレスケンス』
アーーーッ!!エロいね!!!
翼のデザインと細身の体のバランスがたまらない。この翼が拳状になって敵を殴って攻撃したりするんですよ。かっこ良さと美しさを同居させた素晴らしいデザインだと思います。そしてエメラダのBGMとも言える「神無月の人魚」があわさってさらに神秘的な印象を受けるところが素晴らしい。
次点の推しギアは、仲間のマリア・バルタザールが搭乗する『ゼプツェン』
私はゴツいロボが好きだ。無骨なボディ、そしてクソでかい足。まさに鉄塊と表現できる渋さがある。そしてここに乗るのが、13歳の可愛い女の子というのがまたいいんですよ。クソゴツいロボットと可愛い女の子の組み合わせは正義。ギャップ萌えってやつだね。生身で戦う場面でもゼプツェンを呼んで戦えるんだけど、これがまた強い。
・・・この二機が出てきた時点で理解できるかもしれないけれど、当時の私は年の近いエメラダちゃんとマリアちゃんがお気に入りだった。だからか知らないけれどギアにも特別な思い入れがあった気がする。
・魅力その2:キャラクターがいい
登場するキャラクターは皆魅力的だった。
主人公なのに主人公臭くない前髪おもしろ男フェイを筆頭に、
ドライブの恐怖を乗り越えて強くなるエリィ。
ミステリアスで敵なのか味方なのかわからないチートキャラシタン先生。
国のために戦うバルト。
自らが亜人なのに、亜人を排斥する父(国王)を憎むリコ。
とにかく可愛いチュチュ(ドーピングしたら最強)。
エトセトラエトセトラ。
もはや個性が皆爆発しまくっている。個性のバーゲンセールや。
みんなストーリー上では辛い経験をして(先生とチュチュ以外)、それを乗り越えて強くなっていく姿が描かれるんですよね。だからこそ、一人ひとりの境遇に感情移入できるし、彼らの生き様から学べる気がする。
・魅力その3:狂った世界観
当時の私に多大な影響を及ぼした、悪名高きソイレントシステム。
詳しくはこちらで
ソイレントシステム (そいれんとしすてむ)とは【ピクシブ百科事典】
このシステムの全貌が明らかになったときがこのゲームの第一のカタルシス。
実はゼノギアスの世界には、空中に浮かぶソラリスという国がある。ソラリスは地上の人間たちに処置を施しており、地上人はソラリスの存在を認識できないようになっています。
ソラリスの人たちは、地上人を攫って奴隷にし、兵器化させるために人体実験を繰り返し、挙句の果てに死体を食用の缶詰にするという非人道的な行為を行っているのです。どんな設定だ。
しかもその直前に主人公とヒロインがその缶詰を食べているから余計にタチが悪い。
しかしながらそんな世界観が、後述する理由と相まって不思議な魅力を醸し出してるんですよ。当時のゲームの中でも、ストーリー面ではかなり異色の作品でしたね。
・わけがわからないからこそ、生き抜いてやろうと思える
おそらくこの令和の時代にゼノギアスが発売されたら、きっと昔のように受け入れられないような気がしています。
少なくとも、私が小学生だったら確実にハマらない自信がある。
「投げっぱなし」「ストーリーが意味不明」
と感じてスプラトゥーン3をやってますよ。間違いない。
当時はプレイステーションゲームの黎明期で、混合玉石に様々なゲームが発売されたある意味カオスの時代でした。
それでも30歳になった今、ゼノギアスを振り返ると、ストーリーがわからないことが逆に良かったんじゃないか、と思えるんです。
私だけかもしれないけれど、プレイヤーはこのゲームの全体像を初見で掴むことは不可能だと思う。
自分に理解できない事象が起こっていて、生命の危機が迫っていることだけは分かる。でもそれでいいんだと思うんですよ。だって相手は「創造主」だから。つまり神様です。
ゼノブレイド:DEしかり、ゼノギアス然り、ストーリーの根幹になっているのはヒトと神の戦いの物語。自分を作り出した高次の存在と相対しても、彼らの意思に反して「生きたい」という気持ちを貫けるかどうか、という物語だと思うんです。
わけわからん状況に放り込まれたからこそ逆に本気になれる、という気がする。これを体験したゲームは、PS2の『ドラッグオンドラグーン』。唐突に空飛ぶ巨大赤ちゃんに殺されそうになりなりつつ、絶望的な状況を打破しようと戦う姿が印象的でした。
ゼノギアスの状況はこれに似てる。わけがわからないからこその没入感。人間の想像力を遥かに超えた存在と戦おうとする姿が、今でも鮮明に思い出せるのです。
・自由意志の物語
「人には自分の運命を自分で決める権利がある! 自由な意志があるんだ!」ーフェイ
自分の運命は自分で決める権利がある。かっこいいです。
ゼノギアスはいつまでも私のベストゲーム。当時これだけ大きな影響を与えられたゲームは他にはありません。
今気づいたんですが、当時持ってたゼノギアスの設定資料集、2014年に復刊したんですね。買ってしばらくして、家の都合で転勤する際に他の本と一緒に手放したんですが
1万円以上というとんでもない価格がついていました。かなしい。
Xenobladeをクリアしたので語ろう
9月18日に、Xenoblade:DE(ゼノブレイド:ディフィニティブエディション)をクリアした。
このゲームは旦那さんのお気に入りで、
「やったほうがいい。面白いから。」
とずっと猛プッシュされていたものの、なぜか食指が伸びなくて1年ぐらい放置していた。
ちなみにゼノブレイドを開発したモノリスソフトの過去作である、Xenogears(ゼノギアス)はプレイ済み。ゼノギアスをはじめてプレイしたのは小学生のときだった。
当時ドラクエやカービィ、マリオシリーズを好んでプレイしていた私は、ゼノギアスに登場するかっこいいロボットと、詳細はわからないけれどなんかヤバいことだけは理解できる『ソイレントシステム』に衝撃を受けてゲームにドハマリし、最終的に10週ほどプレイした。親に頼んで誕生日プレゼントとして設定資料集も買ってもらった。当時は読んでも1ミリもストーリーが理解できなかったけど。
ゼノブレイドは、ゼノギアスと違ってキャラクターはアニメ調で可愛い。しかし、ゼノギアスをプレイしていた当時のイメージが強すぎて、ゼノブレイドは可愛いキャラクターたちが凄惨な実験の末に缶詰にされるゲームだと思っていた。
しかしそんなことは一切なく、ゼノブレイドは王道を行く激アツRPGだった。もうちょっと早くプレイすればよかった!
ということで、今回はゼノブレイドをプレイした感想を語ろうと思う。
Xenoblade:DEってどんなゲーム?
Xenoblade Definitive Edition(ゼノブレイド ディフィニティブ エディション)-Switch
ストーリークリアまでのプレイ時間は約60時間。そこからクエスト消化などのやりこみ要素をこなし、最終的なプレイ時間は75時間になった。
ジャンルはRPG。
ゼノブレイドの魅力|楽しい探索、爽快なバトル
ゼノブレイドはすごい久しぶりにプレイしたゲーム。
それまでは仕事もあってなかなかゲームをする時間が取れなかったけれど。産休に入ってから一気にクリアまで駆け抜けた。
なぜここまでハマったのかについて語ろうと思う。
1.爽快なコマンドバトル
RPGがあまり得意ではないけれど、このゲームの戦闘は面白いと感じた。
コマンドで使う技を選ぶのは同じだけど、戦闘中はリアルタイムでキャラクターを操作できる。
技には敵の背後で使うと攻撃力が上がるものや、特定の技の後に使用すると敵を気絶させるものなどがある。
プレイヤーはキャラクターごとの性能やスキルに合わせて、敵との位置関係を考えながら移動したり、他のキャラとタイミングを合わせてコマンドを選択する必要があるため、RPGだけどリアル感があって息がつけない戦闘が楽しめる。
2.広くて美しいマップを闊歩するクソ強い敵
ゼノブレイドのマップは広い。そして美しい。
マップにはファストトラベルができる場所が設定されていて、その箇所を訪れたら、いつでもどこでもワープできる。
そのおかげで広いマップでもストレスなく移動できるのが嬉しい。
個人的に楽しい要素だと思ったのは、序盤のマップを絶対に勝てないレベルのクソ強い敵が闊歩していること。
自分がレベル10ぐらいの時に、なぜか目の前に90レベルぐらいの巨大ゴリラが歩いてたりする。
間違いなく勝てないから避けて通るんだけれど、「こいつ絶対あとで倒そう!」と思えるので攻略の楽しみが増える。
序盤のうちから、自分のキャラクターが強くなる目的と目標ができるのっていいですね。
3.ストーリーは王道かつ先が気になる
ストーリーはさすがゼノシリーズといった感じで、先が気になる面白さ。
巨神と機神という2つの神の骸の上に世界があって、巨神に生きる人々は機神から攻めてくる機神兵(ロボット軍団みたいな)と戦っている。
人々は機神にどこかへ連れ去られているようだが、機神兵の目的とは・・・?
主人公であるシュルクは、巨神の上に生きる人々を守ることができるのか?
というのが大まかなストーリー。
先が気になる展開でかなり面白い。特に、機神兵たちの目的がわかってからはストーリーが面白すぎて一気に進めてしまった。
ゼノギアスに比べると、ストーリーがかなりわかりやすいのがいいね。
そんなわけでゼノブレイド、かなりの当たり作だった。
今は里帰り中なんだけど、次旦那がこっちに来る時には『ゼノブレイド2』を持ってきてもらうように頼んだ。
RPGが好きな人にはお勧め。